わらびの日誌

Please forget me not, but I'll forget you. So it goes.

感情に焼かれる

 すきなものをすきでなくなるときに湧き起こるような、後頭部から力が抜けていく感覚に身をゆだねたままでいたら、なにもおもわなくなっていた。正確には、なにかをおもって考えるのだけれど、ことばが外に出ていくまえにわたしのからだのなかで消滅してしまう。以来、ことばが出てこない代わりとしてなのか、場所や状況を問わず泣きだしてしまいそうになることが多々ある。会社にいても、恋人と会っているときも、ずっと鼻の奥が痛いし眼球を覆ったときの瞼が熱い。ほんとうに涙が出てしまうときもあるので、そのときは目にごみが入ったのだと言い聞かせて袖に水分を吸わせる。涙もろいのはむかしからだったけれど、あまりにも頻度が高いのでたいへん困っている。そう書いているそばから泣きだしそうなのでもうお手上げやなとおもう。

 大学卒業後、2週間のニート生活と半年間の派遣を経ていまの会社でパートをしている。ことしで4年めになる。帰宅後は恋人に会いにいき、たまには友人と遊び、そして文章を書いて過ごしてきた。左手の薬指の怪我のことで憂鬱ではあったけれどそれはお気に入りの生活で、いつか恋人と家族になるまでは似たような日々がつづいて、ずっとずっとしあわせなきもちで生きていくのだと信じていた。すくなくとも、薬指の第一関節が一生うまく動かないこと以上に不幸なできごとに見舞われることはもうないだろうとおもっていた。

 けれど、きょねんからすこしだけ生活が変わって、いつも会ってくれる恋人といつも遊んでくれる友人以外のひとたちと顔をあわせたりネット上で話したりする頻度が増えた。それまでの生活が対人関係において閉鎖的だったとしたらたいへんな成長なのだけれど、ここ数年封じこめることができていた嫌なじぶんが現れるようになってしまって、そのたびに呆然として、悲しくなってしまう。恋人・友人などすきなひとのことばかり考えていたわたしのこころに、ほかのひとたちへの感情が流れだしたのだった。それは怒りとか妬みとか、綺麗じゃないきもちであることのほうが多くて、じぶんがどんどん汚く焼けただれていくみたいで、優しくない人間であるということを見せつけられているみたいで怖かった。ただ怖がっているうちに、日常会話にしても作品への意見にしてもうまく喋れなくなってしまっていた。口のほうが先にひととの交流を絶とうとしているらしかった。ほかの動物は言語以外の行為で関わりあっているのになんで人間はことばじゃないとわかりあえないんだよ、とことばの存在に逆ギレしたりもしている。いや、それは逆で、ことばがあるからひとはわかりあえるのだというおもいこみに甘えてしまっているのかもしれないなともおもう。

 このあとはゲームをひととおりこなして、お風呂に入って、スキンケアを丁寧にやって、ユーチューブで動画を流して眠る。なにもおもわなくて済むことだけをして、会社に遅刻するぎりぎりの時間まで眠る。

 わたしはいままで、なにを、どうやっておもっていたのだろうか。

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