わらびの日誌

please forget me not, but I'll forget you. so it goes.

明日また会うかのようにサヨナラ言えたなら

今週のお題特別編「春を感じるとき」〈春のブログキャンペーン 第1週〉

  「桜が咲いて、そして舞い落ちる、出会いと別れの季節がやってきました」と原稿用紙に書いたのはもう10年も前のことになる。小学5年の3月、離任される校長先生にむけて送ることばを書いて式で読みあげてほしいと担任の先生に頼まれたのだった。校長先生に特別な思い入れはなかったけれど(しいていえば始業式や終業式のおはなしが長いのが嫌だった)、当たり障りのない、綺麗にみえることばをならべてやりすごそうとしたのを覚えている。別れが先にやってきて桜が咲き、出会いがあって桜が舞い落ちる、というのが正しい順番のようにおもえるけれど、担任の先生にヘリクツな子だとおもわれるのがめんどうくさくってそれを言わなかった自分なんてかんたんに想像がついた。

 もちろん大学の卒業式も3月だったので桜は咲いていなかった。卒業式のあとにひらいた謝恩会がおわって店を出たとき、就職で鎌倉に行くことになったともだちが、わらびーちゃん、これで最後なんやで、と言ってきた。あしたもまた会えるような軽いきもちでいたのに、急速に別れを感じた。がんばってねだとか会いにいくねだとか言いたかったはずなのに、涙が出てきて彼女の顔がみれなくなってしまって、けっきょくなにも言わないまま別れてしまった。年齢や金銭面で考えれば、どんなに距離があっても会いにいこうとおもえば会いにいけるはずなのに、どうして別れとおもうと悲しくなるのだろう。

 4月になって、お風呂あがりに暖房がきいていないところのフローリングを素足で踏んでも冷たくなくなった。春がきたのだ。たぶん、フローリングが冷たかったという感覚を思い出せなくなるように、彼女との別れの記憶も遠のいていく。桜の花びらが地面にぜんぶ落ちるころには、あたらしく出会ったひととの生活リズムができて別れたひとのことを思い出す隙などなくなってしまうから、また会いたいというきもちを強く抱いて、彼女が好きだったパンダをみるたびに彼女のことを思い浮かべるようにする。

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