わらびの日誌

please forget me not, but I'll forget you. so it goes.

2015.5.24 恋とか愛とかに代わるもの

京都方面に行くほうのホームまであがってきたらむこうのホームに梅田行きの特急がきて、あの電車でツカさんは就職先の温泉街まで帰っていくんやなあとおもったら寂しくなってきて、なんか「青いベンチ」みたいやとおもいながら青くないベンチにすわって普通電車を待ったのでした。会いたいときに会いたいひとに会えへんのってこういうことなんやなあとちょっと苦しくなりながら、電車に乗りこんで高速道路のオレンジ色のあかりを眺めました。それからもう2日も経ってしまって、電車に乗っていたときに感じていた苦しさもすこし忘れてしまっています。きのうは恋人のおともだちのラグビーのひとが彼女さんと別れたときいて、このひとも会いたいときに会いたいひとに会えへんくなったんやなあとおもいました。けど、たとえラグビーのひとが変な日本語やけれどいちばん最悪なかたちで別れたとおもっていても、時が流れてしまえば大切な苦しみかって忘れてしまうし、そういうふうに人間はできています。せやから、まだ覚えているあいだは「彼女に似合う服」やら「8月、落雷のストーリー」やらを聞いて、傷つかへん程度に後悔して悲しめるだけ悲しめばいいんではないでしょうか。永遠なんてなかったとかベタなことを言うてはるのやけど、ひとは嫌でも命が尽きるのやから永遠なんてないのは当たり前やし、恋は飽きるし、愛はあたためな使いもんにならへんから、〈ただ好きでいる そんな風にいれたらいいなって思う〉のです。いつまでも刺激的な味がする恋とか、沸騰したり凍ったり温度変化がはげしい愛とか、けっこうめんどうくさいんとちゃうかとおもうわけです。恋が愛に変わるという考えかたもあるのやけど、変わる、というのもやっぱりめんどうくさくってなんかしっくりこうへん。その点、好き、というのはいろんな味つけができて、いつでもほっとするくらいの温度で相手にあげることができるきもちのような気がするのです。永遠とか恋とか愛とかやなくて、できればつきあうとかいうようわからへんことばでもなく、好きあえるひとといっしょにいられたらいいよなあとおもいます。いっしょに撮った写真とか、プレゼントとか、捨てたり残したりするってどんな感じなんやろうとひりひりしながら会ったこともないひとの別れを想像したのでした。

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