わらびの日誌

Please forget me not, but I'll forget you. So it goes.

メメント・モリ

今週のお題「梅雨の風景」

 雨の日は電車に乗るために川沿いの道を歩く。川沿いの梔子はつぼみごと葉を切られてしまうからあまり咲かないのだけれど、ことしはすこしだけ花が咲いた。もうすぐ夏がくる。

 雨が降る季節が終わってしまうまえに、もういないひとたちのことをおもいだす。中学2年のときの6月に病気で死んでしまった顔も知らない同級生のこと、滝壺に吸いこまれて消えていってしまったというともだちの幼馴染のこと、71年前の大地震で軍需工場の下敷きになってしまった15歳の少年たちのことを考える。それから、声も出ないのにお見舞いにきてくれてありがとうと言おうとした生徒を目の当たりにした数学の先生のこと、滝壺に吸いこまれていくそのひとの手を離さないといけなかったひとのこと、友人の遺体をじぶんの手で納棺した生き残った少年たちのことを考える。どんなきもちで生きてきたんだろうかとか、もう忘れてしまったんだろうかとか、これからも覚えているんだろうかとか、いくら想像してもわからないことを想像する。大好きなひとのことすら四六時中おもっていられないのだから、忘れたくない悲しみをおもいだす習慣が必要で、同時に、いざこうやっておもいだしてみると彼らのことを忘れながら生きてきてしまったことに打ちのめされるのだった。俳優の伊藤俊人さんが亡くなったときに「彼のことを覚えていれば彼はわたしたちのこころのなかで生きることができる」といったようなことを高橋克実さんが言っていて、そのことばを信じているはずなのに忘れていくのはとめられそうにない。

 駅の手前にかかるおおきな橋を渡る。いまここでサラリーマンがわたしを抜かして歩いていったこともいつかは忘れてしまうのだろう。いや、もしかしたら忘れてしまうとおもったことを覚えているかもしれない。

 その日、雨は止まなかった。

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