わらびの日誌

please forget me not, but I'll forget you. so it goes.

二村ヒトシ『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』

今週のお題「読書の夏」

二村ヒトシ『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』

――〈僕は君に許されていたい〉。

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 去年は気楽に読めたのに、ことしは読むのがしんどいのはどうしてなのだろう。

 別に、恋人が「愛してくれない人」というわけではない。むしろ、二村ヒトシさんがいう自己正当化の〈インチキ自己肯定〉ではなく〈自己受容〉している感じがして、長いあいだいっしょにいても過ごしやすいひとだ。彼も過ごしやすいとおもってくれていたらいいなあとおもう。

 『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』は、〈心の穴〉と向きあうための本だ。〈心の穴〉は誰もが持っている。じぶんの嫌なところが湧いてくる、苦しみを感じさせる穴だ。けれども、ふさごうとすると不具合が起きる。このぽっかりあいた穴をふさいで! 駄目なわたしを変えて! 知らないところにつれてって! なんて、恋愛の相手に願ってしまうと余計に苦しくなってしまう。18歳のころのわたしはまさにこういう考えでひどい恋愛をしていたなあとおもう。もちろん、しっぺ返しをくらった。

 読み進めていくうちに、〈心の穴〉はふさぐのではなくて、じぶんの考えかたの癖を把握して折り合いをつけるのが良いらしいというのをおもいだした。去年のわたしはSo it goes(そういうものだ)にこだわっていて、納得がいかないことがあっても噛みつかずに楽に受け流すことができていた。けれども、ことしのわたしはSo it goesでうまく受け流せなくなっている。こういうの良くないよなあとおもうことをつい宣言してしまって、縛られて、許容範囲の狭くしてしまうのだった。ますます生きにくくなっている気がした。いまこそ、〈自己受容〉するときである。〈自己受容〉はじぶんを好きになることではなく、じぶんを認めることを指している。

 ところで、GARNET CROWの「今宵エデンの片隅で」の〈優しさの意味だって人によって違う 僕は君に許されていたい〉という歌詞が好きだ。〈僕は君に許されていたい〉ということは、僕は君を許しているはずだ。ひとを許すのは難しい。甘やかすという意味ではなく、〈自己受容〉して認めあうという意味で許しあえる関係になれたら、とても幸せなことだとおもう。