わらびの日誌

please forget me not, but I'll forget you. so it goes.

2015.8.15 変わりなく生きていくということ

 風化しないようにとか後世に伝えていこうとか、それをやっていくのはあなたやなくてこれからを生きていくひとやのに簡単に言わんとってよとおもう。いま、わたしは間違いなくなにかを忘れながら生きています。たとえば、2年前の9月の集中豪雨で嵐山が大変なことになったのも四六時中覚えていられへんし、卒業制作で書いた71年前の大地震のこともふとした瞬間がやってこうへんかったらあたまによぎらへんのでした。〈時がすぎ、ぼくらはおなじではいられない〉というのはしょっちゅうおもっていることなのやけど、あやふやになっていく記憶を目の前にするとほんまにおなじ状態でとどまってはいられへんのやなあとおもいます。けれども、〈時間が指のあいだをすり抜けていく〉からといって残された者の悲しみが完全に癒える日は来やんものです。軍需工場の下敷きになったときに負った左肩の傷はいまでも痛むって言ってはったから、物理的な傷かってなかなか癒えません。ほな、忘れていくことを罪みたいに言ってもええのかというと、それは違うとおもうんです。人間は回復するために忘れていくいきものやから、ずっと覚えていては身がもたんのです。それを愚かなことやと言われてしまったら言い返せる自信はないんやけど。きっと、きょうが終わったらわたしは何事もなかったかのように変わりなく生きてしまうのでしょう。せやから、きょうくらいすこしの罪悪感を抱いてもいいのでしょう。

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