少女だったといつの日かおもうときがくる
今週のお題「年末年始の風景」
ほんのすこしのアルコールで二日酔いみたいになるから、仕事納めの日に6本買ったほろよいを仕事始めの日までに3本飲んだのはなかなかがんばったほうだった。歳を重ねるごとに、ことしのおわり/ことしのはじまりを迎える高揚感が薄まってきているような気がする。2014年の大晦日は外出先でスマートフォンをテレビ代わりにしてまでガキ使を見ようとしていたのに、2015年の大晦日はガキ使の開始時間をすっかり忘れてお気に入りのアニメを見ながらエッセイを書いていた。年越し間近には兄が相変わらずオーケストラの番組を見ていたけれど、あけましておめでとうと言いあったりだとか乾杯だとかはしなかった。真夜中にそっと恋人に会いにいってもいつもどおりの感じがして、ひとつの年がおわってひとつの年がはじまったからといって真新しさはなかった。普遍的に流れる日常のなかでたまたま1月1日がやってきただけだった。
わけもなくどきどきすることを忘れたら大人になるのかもしれない。テレビのチャンネルをよく変えるひとは幸福を感じとりにくいらしいというのをちょっとだけ気にしながら、あしたの朝は新しく買ったアイシャドウをつける。