わらびの日誌

Please forget me not, but I'll forget you. So it goes.

千野帽子『俳句いきなり入門』

千野帽子『俳句いきなり入門』

――言葉は自分の中にはない。
俳句いきなり入門 (NHK出版新書 383)

俳句いきなり入門 (NHK出版新書 383)

 

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 俳句適正チェックは〈自分が作った俳句をみんなの前で発表して先生に指導してもらうことを考えると、ちょっとプレッシャーだ〉以外ひっかかっていない。どうやら俳句のスタートラインの近くに立っているらしい。よし。というわけで、『俳句いきなり入門』でとりあえず入門することにした。

 まず、原則一七音、五・七・五のあいだにスペースを入れない、句末か句の途中に「切れ」を入れる、季語は原則一個入れる、季語の説明をしない、という五つのルールを守れば俳句はつくれるらしい。これなら初心者のわたしでもかんたんにつくれそうだ。なんだかわくわくしてきたのでつくってみた。

 

 恋せよ乙女ひとん家の沈丁花

 

 ……で?(ていうか初心者のくせに五・七・五のかたち守ってへんやん!)

 もちろんルールさえ守れば俳句らしきものはつくれる。けれどもこのままでは上手にはなれない。そこで『俳句いきなり入門』の出番である。

 俳句はじぶんが伝えたいことを伝えるのには向いていない。著者によると〈人間の「言いたいこと」などせいぜい五~八種類(千野調べ)。まして一七音で言える「言いたいこと」など高が知れている〉らしい。俳句にしたら美しいのでないかとおもうようなことなんて、桜が咲いた・春がきてうれしいとか、夏の終わりの夕暮れ・なんかちょっと切ないとか、それくらいの範囲のことでしかない。俳句がおもしろいのは、ルールを守りながら俳句をつくるとじぶんの言いたいことから脱却した一七音ができることだ。それはじぶんでもなにを言っているのかわからない句なのだけれど、読み手が解釈してじぶんが想定していなかった意味を句に与えるのである。〈「自分のなかにある着想」を「自分のなかにある言葉」で表現しようとしている〉状態ではなく、言葉はじぶんの外側にあると認識することが上手になるコツらしい。

 よし、もう一度つくってみよう。

 

 教室にとじこめる花を決めます

 

 ……上手になるには、もっと時間がかかりそうだ(まずはルールを守るところからはじめましょう)。