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わらびの日誌

please forget me not, but I'll forget you. so it goes.

最果タヒ『死んでしまう系のぼくらに』

最果タヒ『死んでしまう系のぼくらに』

――きみが死んだら夜空が美しくなるっておもってもいい?
死んでしまう系のぼくらに

死んでしまう系のぼくらに

 

 

  〈「わたしをすきなひとが、わたしに関係のないところで、わたしのことをすきなまんまで、わたし以外のだれかにしあわせにしてもらえたらいいのに。わたしのことをすきなまんまで。」(「夢やうつつ」より)〉って、そのひとをしあわせにできない無力感と、それでもすきでいてほしい諦めのわるさがあわさって、なんだかかなしい。

 『死んでしまう系のぼくらに』には愛したい・愛してる・愛してほしいがたくさん出てくる。それらは宛先があることばのように見えるのだけれど、相手に伝わらなくてもいいようなひとりごとのように感じられる。死、葬儀、殺されたい、死者といったうす暗くてつよいことばが、夢とか、希望とか、愛とか、うつくしいものとしてあつかわれることばさえも重い響きにして、ひとにむけるには鋭すぎることばになっているからだ。鋭いことば、というのは裏によわさが潜んでいて危うい。死んでしまう系とはいえ死にたいだったり死にそうだったり、ちょっと死にすぎではないかとおもう。読んでいてとてもひやひやする。しかし、このひやひやする感じがだれかに恋している感覚に近いのである。詩につかわれていることば全体で恋という状態を表現しているのだ。

 この詩集は恋だけではなく、かなしみと尊さが混ざった感覚も表現している。たとえば「望遠鏡の詩」では〈死者は星になる。だから、きみが死んだ時ほど、夜空は美しいのだろうし、{…中略…}きみが好きです。死ぬこともあるのだという、その事実がとても好きです。{…中略…}ぼくのことをどうか、恨んでください。〉と、きみが死ぬのはきっとかなしいことだけれどきみが死ぬことで夜空が美しくなるとおもっていて、けれどもそれはよくないことだともおもっているというふたつのおもいが絡みあっているのがみえる。また、「LOVE and PEACE」の〈60億人の人がわたしに、愛する人がいるからきみなんか必要ないよ、と言っている。〉は大事な関係とそれ以外という感覚を的確にあらわしていて妙に納得してしまった。

 ちなみにわたしのお気に入りは「恋文」です。