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わらびの日誌

please forget me not, but I'll forget you. so it goes.

sleep『好きで好きで、どうしようもない恋は、いつもどうにもならなくて。』

sleep『好きで好きで、どうしようもない恋は、いつもどうにもならなくて。』

――君の'好き'と僕の'好き'が出会うといいな(GARNET CROW「やさしい雨」より)

 

  切ない恋ってよくわからないなっておもう。だいすきなフランス映画の『仕立て屋の恋』に出てくる〈ただ死にたくなるほど切ないだけだ〉という台詞には感動したけれど、それが切ない恋だったのかはわからない。だって彼は転落死しちゃったんだもの、もう知りようがないでしょう? でも、彼が窓から覗いていた恋は〈好きで好きで、どうしようもない恋〉で、〈どうにもならな〉かったのは確かだった。

 『好きで好きで、どうしようもない恋は、いつもどうにもならなくて。』は、sleepさんというひとのツイッターの書きこみをまとめた本だ。小説でもなく、エッセイでもなく、ことばが集まっていた。ツイッターに書きこまれた宛先のないことばが、本の読者であるわたしにとつぜん宛てられたような気がして、ことばを一生懸命たどった。いまは年単位でしか会わないともだちと学生のころはまいにち会っていたこと、LINEがなかったころはメールの相手ごとに着信音を変えていたこと、メールを送ったら迷惑だろうかとおもいつつメールを送って後悔したこと、どれもがじぶんの記憶のなかにあって懐かしくなる。同時に、あのときはすごく泣いたけれどあのつらさはもうどこかにいってしまったなあとか、もうほかのひとなんてすきになれないなんてかわいいふりしていってみたけれどやっぱりそんなことはなかったなあとか、だれかをすきになってもこころの奥底でいちばんすきだったのは・あるいは嫌いになってほしくないとおもっていたのはいつもあなたのことだったなあとか、幸福な恋愛で覆い隠していた苦い記憶が泉のように湧きだして、なんだか悲しくなってくるのだった。

 きっとわたしなんかが癒せるわけがないのだけれど、このひとが感じたつらさや苦みを抱きしめたいとおもった。いまもどこかで切ない恋ってやつをしているひとがいるのだとしたら、そのひとの’好き’がそのひとのすきなひとの’好き’とつながって切なくなくなればいいのに。こうも想いがつうじあわないのは、すきであるほど駄目になってしまうのは、どうしてなんだろう。