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わらびの日誌

please forget me not, but I'll forget you. so it goes.

2016.10.09 We hope our paths will cross again.

 目がさめたときにはもう午後3時で、なにか書いておきたいなとおもったときには手遅れで、記憶が過ぎさっていくのを感じます。なにか書くつもりやったから、行きしなの道で2匹のアゲハ蝶がじゃれあうように飛んでいて、秋の蝶は春の蝶よりもちいさくて寿命も短いのをおもいだしていたことは覚えているのやけれど、肝心なおもいではついきのうのことやのにあまりにも遠くにあって、なかなか手繰り寄せることができません。

 「We hope our paths will cross again.」は日本語でいうと、おたがいの人生がふたたび交わることを願っています、になるのやけれど、それがまた会いましょうっていう意味になるなんて、英語は、英語圏に住むひとはなんてすてきなんやろうっておもいます。また会うことがただ顔をあわせるだけやなくって、おたがいの人生にまで影響して、とてつもなく大きな意味をなしているのやなと、このことばを教えてもらったときはこれから生きていく時間の壮大さに感動して泣きそうになりました。

 おなじ時間を生きるなんて時差があるから無理やし、空はつながってるからわたしたちはおなじ空のしたで生きてるんやでなんて言ってみても、晴れ空と雨空がおなじものやなんておもえへんくて、京都とニューヨークって遠いなあって、あたりまえのことやけれどおもうのです。きのうの送別パーティーで先輩が朗読した詩と、二週間まえの最終講義で先生が朗読した作品のことばを反芻して、わたしは遠くに行ってしまわはる先生のしあわせを祈ることしかできひんし、忘れっぽいひとやし京都にいた十年間のことももしかしたら忘れてしまわはるかもしれへんけど、それでも祈ることができるのやったらせいいっぱい祈って、また人生が交わる日を待ちます。さよならだけが人生だっていうことばもあるけれど、さよならだけでおわらへんような人生がいいなっておもいます。

 ニューヨークに届くような文章が、小説が書けますように。

 またお会いできる日を楽しみにしています。Bye Bye Riyo.

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