わらびの日誌

please forget me not, but I'll forget you. so it goes.

長嶋有『愛のようだ』

長嶋有『愛のようだ』

――こころのなかにだけ流れているような恋でした。
愛のようだ

愛のようだ

 

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 「もしもこのひとと恋におちたら」と考えたときが恋のはじまりなのだと、いつか読んだ小説でいっていた。いっぽうで、長嶋有『愛のようだ』の主人公である「俺」・戸倉は琴美に恋をしていると気づくまでにずいぶん時間がかかった。それは、琴美が友人である須崎の恋人だったからかもしれないし、琴美への〈変な気持ち〉を言語化するまえに「(須崎は琴美を)愛しているよ」と口にだして言ったからかもしれない。

 実家のために必要を強いられて、中年の戸倉はようやく車の免許をとる。ペーパードライバーにならないため、あるいは運転技術の向上のため、戸倉は友人たちを車に乗せる。第一話では須崎・琴美と伊勢神宮へ、第二話では永嶺・祥太・ノリオと「群馬県の」草津温泉へ、第三話では水谷さん・祥太・卓郎と新潟方面へ、第四話では永嶺・祥太・神山と岡山へ車を走らせる(インターミッションとエピローグでも車に乗りますが割愛します、すみません!)。車を走らせる、とひとくちに言っても、十二指腸みたいな峠を越えたり、走行中の車から飛び降りようとする者がいたり(!)など、道中ごとに違うエピソードがある。そして車をとめれば、たのしかった時間も、苦行のようなドライブも、もう過去のことになる。

 戸倉は琴美とメールでときどきやりとりをしている。琴美は癌を患っていて、上の階にいくほど重症患者が入院している病院のいちばん上にいる。だから、「もしもこのひとと恋におちたら」なんて恋ははじまらない。ずっと付き添うでもなく、ただメールをして、琴美の容体に「憂」のほうが多い一喜一憂をするだけだ。なにより、そばにいるのは須崎の役目だった。けれど、戸倉は後悔するのだ。告白する勇気以前の問題はあったとはいえ、〈大事な人〉に〈大事な言葉を言いそびれた〉ことを。愛のようだ、ではない。戸倉は琴美を、ちゃんと、愛していたのだった。

 こんなにも、ほんとうの意味で、ほんとうの意思で、「愛しているよ」と言ってほしいとおもったひとに、いままで出会ったことがない。