わらびの日誌

Please forget me not, but I'll forget you. So it goes.

SOS

今週のお題「部活動」

 これから読書部のはなしをする。読書部は真の部員である部長1名と、本命の部活から亡命してきた4名によって構成され、図書室で活動している。活動内容はいたって単純で、部長がやりたいと言ったことをやる。鬼ごっこがしたいと言われれば鬼ごっこをするし、ドンジャンがしたいと言われればドンジャンをする。やせたいと言われればいっしょに腹筋をする。ムダ毛を剃るのに電気シェーバーがほしいと言われればいっしょにミドリ電化(当時はまだエディオンではなかった)まで行ってお金を出しあって購入する。幽霊部員であるウスイ先輩があらわれたときの対応方法を検討し、とりあえずひとりひとりウスイ先輩になりきって「待たせたな」という台詞とともに図書室の扉をあけてみたりもする。そして階下の職員室からうるさいと苦情を入れられるのが常であった。

 わたしはやたらと筋トレの厳しいバドミントン部から亡命してきたのであるが、とにかく読書部のひとたちは読書目的でこの部活にきていないので本を読まなかった。わたしとおなじくバドミントン部からきたカニコはむかしから読むほうで、小学生のころは市立図書館にいっしょに行っていたくらいなのに、読まないひとといっしょにいるようになったせいか本を読まなくなっていた。部長の、読書部らしいことをしよう、の一声で百人一首を覚えようとしたこともあったが続かない。当時は図書室の蔵書のバーコード化をやっている時期で、ボス(顧問のことである。もちろん部長よりも偉い)からの指示で本来図書委員がやるはずの仕事を読書部がやることになったときにも、このひとたちはすぐに飽きてどこかにいってしまうのだった。おそらく中学の図書室のバーコードはほぼほぼわたしとカニコで貼ったことになる。パソコンへの登録はできる者がわたししかいなかったので全部やった。積みあげた本が倒れてきて生き埋めにされかけたこともあったが、いまとなってはいいおもいでである。そのとき本が倒れるくらい積みあげたのはたしか部長である。

 3年生のころ、ボスが担任をもつことになり、ときおり図書準備室に生徒を呼んで面談をすることがあった。そういうときはさすがにうるさくするわけにもいかないので静かにしている。静かに、さしてすきでもない子からもらった手紙を破いて捨てる。中学生独特のひねくれをわたしたちだって持っていた。その日もボスは面談をしていて、わたしたちは手紙を破いていた。面談がおわる雰囲気の物音がぼやぼやと聞こえてきて、扉が開閉したのち、鍵がしまる音がした。はっとする。あろうことか、図書準備室の扉も、図書室の扉も、どちらも鍵がかかっていた。だいぶむかしのことなのでどのような扉だったのかはさっぱり覚えていないが、たしか部屋のなかからは開けられない扉だった。先生、先生、と廊下にむかって叫んでみるものの、ボスの姿はすでにない。なんということか、わたしたちは図書室に閉じこめられたのである!(なお、この数年後わたしは高校にとじこめられることになる)

 一刻もはやく脱出せねばならない。放課後がおわり、教師たちが帰ってしまっては一貫のおわりである。考えに考えて、美術部から亡命してきた部員が持っていたスケッチブックに大きな文字で「SOS」を書いた。それを窓からかかげて外に緊急事態を知らせようという作戦である。しかし気づいてもらえない。どうすればいいんや、どうすればいいんや、と皆が図書室を駆けまわる。混乱して駆けまわる。むしろもう出るなんて考えずにずっと鬼ごっこでもしていようかというくらい駆けまわる。

 がちゃん、と鍵のあく音がした。

 扉のほうを見るとボスではなく国語教師が立っていた。白馬の王子さまの登場か、とおもいきや、国語教師はただひとこと「うるさい」と言った。鍵をあける動作をじぶんでしておいて、国語教師はいつものようにわたしたちを叱りにきたのだった。このとき、皆ウスイ先輩が助けにきてくれたらよかったのにとおもっていたが、じぶんたちが最高学年なのでウスイ先輩はもういない。

 時は経って卒業式の日、わたしは人混みと傘に埋もれながら読書部員の姿を探していた。しかしだれも見当たらない。どうしたものか。高校受験の結果は出ていないにしても、志望校が皆と違っていたから、ひとことくらい別れを言いたかった。しかし面倒くささが勝ってしまって、わたしは読書部員を見つけられないまま帰宅することにした。

 こうして毎日のように放課後をともに過ごしたひとたちと、その後一度も会っていない。同窓会などに行っても彼女たちは一度も姿を現さなかった。

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