わらびの日誌

please forget me not, but I'll forget you. so it goes.

片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』×東直子『とりつくしま』

片山恭一世界の中心で、愛をさけぶ』×東直子『とりつくしま』

――だれかがいなくなってもありつづける世界で。
世界の中心で、愛をさけぶ

世界の中心で、愛をさけぶ

 
とりつくしま (ちくま文庫)

とりつくしま (ちくま文庫)

 

~*~*~ 

 〈「お願いです、助けてください」〉と、漠然として巨きなものに訴えかけても助かりやしない。『世界の中心で、愛をさけぶ』のアキは十七歳で白血病になり、どこにも行けないまま死んでいった。「ぼく」・朔太郎は恋人のアキと過ごした日々をおもいかえす。クラスメートのお見舞いにいっしょに行ったこと、動物園でデートしたこと、無人島でふたりきりになったこと。どの記憶も朔太郎のなかで鮮明におもいだされる。けれど、朔太郎は一生肌身離さず持っているつもりでいたアキの遺灰を風に流すことにしたのだった。

 生前、アキは〈「大丈夫よ。わたしがいなくなっても世界はありつづけるわ」〉と言うのだけれど、それを死者の視点で具現化しているのが短篇小説集『とりつくしま』だ。死んだ十人の主人公のまえにとりつくしま係という白い顔をしたなにかが現れる。とりつくしま係はモノにとりつくことでもう一度この世を見ることができると主人公たちに説明する。主人公たちはじぶんの身近にあるモノや大切なひとたちのモノにとりついて、じぶんがいなくなったこの世を眺めることにする。

 この世は、あるひとが生きているパターンとあるひとが死んでしまったパターンに分断されている。『世界の中心で、愛をさけぶ』ではアキの、『とりつくしま』では主人公たちの死後が後者のパターンにあたる。死後の世界に痛みを感じるのは、生前と死後でこの世が異なるものとして分断されていながらも、生前の世界の延長線上に死後の世界が存在しているからだ。だから、〈わたしがいなくなっても世界はありつづけ〉ているのにふたつのこの世が発生するのである。

 また、分断された世界はふたたびひとつに収縮する。動的に、あるいは意識のなかで、死者がいないことにたいしてこの世に残る者がふんぎりをつける。だれかが死んで、何事もなかったかのように過ごすのは、もしかしたら罪かもしれない。けれども、肉体はなくなってしまっても、そのひとが存在していたという事実が世界に溶けこむことが、だれかを亡くした者にとっての救いなのだ。