わらびの日誌

Please forget me not, but I'll forget you. So it goes.

欠けてゆくもの

今週のお題「晴れたらやりたいこと」

 24歳ってたぶん天気にあまり左右されずに生きてゆけるから強い。ことしは梅雨のわりに晴れの日が多いからそんなことをおもうのかもしれないけれど、遠足や運動会の天気も心配しなくてよい。みんなでよきおもいでを、みたいなビッグイベントがないからいつ晴れてもいつ雨が降ってもさして変わらない気がするのだ。ちなみに雨に降られる92年生まれなので、学校の入学式と卒業式はぜんぶくもりか雨だった。

 お墓参りの日はできれば晴れがよい。ことしからは父方と母方の両方に行かないといけないからなおさら晴れがよい。どちらのお墓も、霊園の階段がやけに急で、雨が降っているとより足を滑らせそうで身の危険を感じるのだった。お墓、というと母方のほうではなく、かならず父方の祖父をおもいうかべる。祖父が住んでいたマンションに子どもだけで泊まりに行くと、初日にかならずお墓参りをした。マンションから霊園まで、祖父と兄と三人で歩いた。雨だった日は一度もなかったとおもう。だから、わたしにとってお墓参りは晴れのイメージで、暑い。わたしは歩くのがきらいで、祖父のことも心底きらっていて、会ったこともない祖母にわたしたち兄妹がきたことを報告して手をあわせることにもぴんときていなかった。そういえば、祖父の家には立派な仏壇があったのだけれど、いつのまにかなくなっていた気がする。もともと祖父が住んでいた家が火事で焼けてしまうまではたしかにその仏壇はあって、当時はいたずらばかりしていた兄がやたらとあたまが揺れる坊主頭の人形を指ではじいたり、木魚をひっくりかえしたりして遊んでいた。家についての記憶は兄のいたずらと、朝食のチーズトーストのにおいと、水でおおきくなる玩具の人形と、祖父の家が火事になった原因を母方の祖母にやたらと説明したがったことくらいしかない。

 お墓に手をあわせている祖父を見て、このひとは毎日お墓に通っているのだろうか、だからこんなに手をあわせる仕草が自然なのだろうかと考えたりした。わたしの家の裏にある墓地に毎日お参りしにきていた老人と背格好がよく似ていたから、そんなことを考えたのだとおもう。そのひとは水本さんという名前だ。墓石に書いてあったからたぶんそうだ。雨の日にも傘を差してお墓参りにやってきていた。水本という名前のお墓は墓地のなかにふたつあって、片方は雑草だらけでなんだか苔が生えているみたいに緑色っぽく見えていたけれど、そのひとが毎日お参りしていたお墓はいつも陽が射しているみたいに明るく見えた。いつしか墓標が増えて、いつのまにかそのひともこなくなって、そちらのお墓も雑草がみるみるうちに生えてきて、いまではどちらのお墓も似たようなものになっている。

 きょうはひさしぶりに雨が降って、きのうツイッターで見た雨のにおいの名前をおもいだそうとしたけれど忘れてしまった。夏至だったのにほんとうに日が長かったのかわからなかった。髪は湿気をふくんでふくらみ、あらぬ方向にはねていて、仕事ちゅうに話そうとして口をひらくたびに髪がくちびるにあたった。こうなると、やはり雨はめんどうだなとおもう。北の空に雨雲がとどまって、夜からふいにどこかの景色が黒くなって一部分欠けていた。

https://www.instagram.com/p/BKn1sucjsOb/

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