わらびの日誌

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河野裕子・永田和宏『たとへば君 四十年の恋歌』

河野裕子永田和宏『たとへば君 四十年の恋歌』

――あなたがいたということ、あるいは、あなたがいないということ。
たとへば君―四十年の恋歌

たとへば君―四十年の恋歌

 

 

 たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか(河野裕子

 

 『作歌のヒント』(永田和宏著)の引用でこの歌をはじめて目にしたとき、とんでもなくどぎまぎしたのだった。もう、恋だった。一目惚れだった。〈私をさらつて〉と言っているこのひとにわたしは攫われたかったし、この歌に手をひかれるようにしてわたしは短歌の世界に誘われた。だから、書店で『たとへば君 四十年の恋歌』(河野裕子永田和宏共著)を見つけたときはぜったいにこの歌のことだと確信して、衝動のままにレジに持って行って会計を済ませた。河野裕子と夫・永田和宏による相聞歌とエッセイが編まれている本であった。

 〈たとへば君〉の歌に挑戦的で強気な女性のイメージを抱いていたのだけれど、実際は困っていたらしかった。学生時代、彼女はふたりの人物のあいだできもちが揺らいでおり、じぶんではどうすればいいかわからないから、〈さらつて行つてはくれぬか〉と歌のなかで相手にゆだねたのだ。そうしてどこかで決心ができたらしく、のちに夫となる永田和宏と恋人関係になる。

 

 ブラウスの中まで明かるき初夏の日にけぶれるごときわが乳房あり(河野裕子

 

 結婚し、子どもを授かり、ときにはアメリカに渡り、乳がんを患い、この世に別れを告げる。そのような彼女の人生にはいつでも短歌があった。中学生時代から亡くなる前日まで短歌を詠みつづけた。おなじく歌人である夫をおもい、相聞歌を詠みあった。それらは愛の結晶なんて甘くてぬるいものではなく、助詞の使いかたひとつでちょっとした感情を感じとってしまうくらいに繊細で澄んだことばのやりとりであった。

 読みおえてしまえば本のなかでも彼女がいなくなってしまうとおもうとなかなか読み進められず、読んでいるあいだはからだから水分が抜けきってしまうんでないかとおもうくらいにぼろぼろ泣いた。彼女が存在していた形跡である短歌はなくならない。失われることのない不在感が、とても悲しかったのだ。

 

歌は遺り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る(永田和宏