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ねえこつち向いてよ永久が落花するやうなひとひらキスをしませう

千野帽子『人はなぜ物語を求めるのか』

千野帽子『人はなぜ物語を求めるのか』

――サッコちゃんという物語のことを考えていた。

  先週の金曜日、サッコちゃんが死んだ。もしかすると、土曜日になった瞬間かもしれないが、わたしにはわからない。

 などと書くと、ひとの死は物語だなとおもう。千野帽子著『人はなぜ物語を求めるのか』に〈人間は物語る生き物である〉と書かれていた。人間は思考するときにストーリーを軸にしている。ときにはそのストーリーで救われることもあるけれど、苦しめられることもある。

 もしかしたら母方の家はサッコちゃんという物語に囚われていたのかもしれなかった。サッコちゃんは手芸用品店を営む家の長女として生まれた、わたしの伯母である。母方の家のひとたちはちゃきちゃきとした雰囲気があるけれど、彼女だけがなにをするにしてもゆっくりだった。ときどき薬を飲んでいたので母に理由を聞いたら、鬱みたいなもん、と呆れたような口調で教えられた。そういった理由からなのか、彼女は職を転々とし、結婚もせずずっと実家にいた。サッコちゃんの過ごしかたには誰も文句を言わなかった。――以上が、サッコちゃんという物語である。血縁関係と個人の性質に関連性はないと理解していても、彼女たちの溝は徐々に深くなっていった。じぶんがほんとうはこうでありたいとか、相手にこうしてほしいとか、怒りのような支配欲が増していったのだとおもう。

 支配欲といえば、映画『銀魂』の告知特番で俳優の小栗旬さんがほかの役者にたいしてじぶんとおなじ熱量で作品と向きあってほしい・かかってきてほしいとおもうのをやめたと言っていた。『人はなぜ物語を求めるのか』でいう〈べき論〉を手放したのだ。〈人間は物語る生き物である〉ゆえに考える尺度としてのストーリーで他者を殴ったり、勝手に嫌なきもちになったりするけれど、同時にじぶんさえそれをやめれば楽に生きることができる。

 葬儀から帰ってきた母が、サッコちゃんの骨壺こんなちいさいねん、と言った瞬間、サッコちゃんという物語から解放されたのだと悟った。サッコちゃん、という伯母のあだ名は母がつけたものであり、ここしばらく口にしていなかった呼びかただった。