わらびの日誌

Please forget me not, but I'll forget you. So it goes.

ロマンティックはお断り

 後輩が指輪をもらった。ダイヤがちょこんとあしらわれた、シンプルで綺麗な指輪だった。わたしもこんなふうに指輪をもらう日がきたらめっちゃ嬉しいんやろうな、と恋人が指輪の入ったふかふかした箱をおもむろに取りだすシーンを想像してみて、いやちょっと待てよとこころの奥にいる冷静なわたしが制止してくる。それって、ほんまに嬉しいんやろうか。

 疑問におもってしまったことにじぶんで驚いた。恋人から指輪をもらうというシチュエーションは文句なしのロマンティックのはずだ。それがとくに親しくしているひとに起こったわけだけれど、いいなあとはおもっても、どうもときめききれなかったのである。TOKIMEKIどこまでもエスカレート*1しない事態に、思考回路がこんなにもかわいくないのはなんでなんやと考えてみたところ、行きついたのは母の婚約指輪がださいことだった。

 両親の馴れ初めはお見合いで、それ以上のことは聞いたことがない。たぶん、それ以上のことなんてなかったのだとおもう。縁談が進み、ふたりは結婚することになり、父が母に婚約指輪を贈った。とても大きなターコイズがついた指輪で、これがださいのだ。定番とおもわれるダイヤではなく母の誕生石であるターコイズを選んだのは、きっとあなたを特別とおもっていますよという父からのメッセージだったのだろう。けれど、母はその指輪を見てひどくがっかりしてしまったのだった。レトロかわいいものがすきないまの時代の女子や湯婆婆であれば喜びそうだけれど、母は繊細で優しい見ためのデザインがすきだし、わたしから見ても母のイメージに大きなターコイズはそぐわないようにおもえた。母に嫌われているせいで、ターコイズの婚約指輪はわたしの部屋の箪笥のこやしになっている(ちなみに結婚指輪とおもわれるペアリングも箪笥のおなじ抽斗にしまってあるのだけれど、ただのシルバーリングのはずなのに微妙にださい)。

 婚約指輪ださい・最悪・うんざりした・ほんまありえへんといった母の愚痴を聞いて、わたしは育った。だから、もらっても嬉しくないものを渡されるかもしれないからじぶんの要望を伝えずになにかをプレゼントしてもらうのは苦手だし、サプライズなんて相手の望むようなリアクションをとれないかもしれないから強烈に苦手だ。ロマンティックは唐突に起こるものなのに、これではときめくことができない。おまけにひとが前触れもなくなにかをプレゼントしてきたり褒めてきたりしたときは疑えと言われて育てられているから、そういった状況でどのように反応すればいいのかが本気でわからなかった。二村ヒトシの『なぜあなたは愛してくれない人を好きになるのか』に〈すべての「親」は子どもの心に穴をあける。〉という章があるのだけれど、もしかしたら母はわたしのこころにサプライズ的な行為からくるロマンティックはお断りせよという穴をあけたのかもしれなかった。つまりターコイズの婚約指輪がわたしの人格形成における諸悪の根源なのである。

 母の婚約指輪を試しにはめてみたらぶかぶかで、わたしの指にもぜんぜん似合わなかった。指輪何号なん、と母に聞いたら、あのひとついに指輪くださるんか、なんてからかわれてしまって墓穴を掘ったような苦いきもちになった。母の指輪は9号らしい。だからわたしがいずれつけることになる指輪は9号以下になるだろうけれど、正確なサイズは測ったことがないから知らない。ロマンティックがまるで駄目なわたしが望んでいいことではないだろうけれど、ほんとうのサイズは恋人に連れられた先の指輪が売っているお店で知りたいなとおもう。2年まえに書いた小説のワンシーンみたいに。

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*1:THE IDOL M@STER CINDERELLA MASTER 009 城ヶ崎美嘉「TOKIMEKIエスカレート」より。初めてだらけしたい。