わらびの日誌

please forget me not, but I'll forget you. so it goes.

憎んでも覚えてて、だってせいいっぱい愛した。

今週のお題「わたしの部屋」

 いい加減ひとり部屋にして。

 もしかしたら、これが人生でいちばんの反抗だったのかもしれない。

 小学一年生の七夕に越してきた家の3階の2部屋は子ども部屋にあてられていたのだけれど、はじめのうちは片方が家族全員の寝室、もう片方が勉強部屋という扱いになっていた。数年後、母とわたしは勉強部屋のほうに寝床をうつし、最終的には父の寝床も1階にうつって、当時高校3年生だった兄はひとり部屋を手に入れた。受験勉強に集中するためだった。だから、わたしも高校3年生になったら母が出ていってひとり部屋になって、勉強中やピアノを弾いている最中にドアをあけられたり、遊びにきたともだちに母が脱ぎちらかした巨大なブラジャーを見られる心配もしなくてすむのだとおもっていた。夜更かしして小説を書くことも多くって、部屋の電気を消して勉強机のライトだけでパソコンを見るのも目に負担をかけている感じがして嫌だった。実際、わたしは家族のなかでいちばん目がわるい。

 けれども、大学受験がAO入試で勉強する必要がないせいか、母はなかなか出ていかなかった。夜になればあたりまえのようにわたしの部屋にやってきて布団にもぐった。夜の9時ごろには眠ってしまうひとなので、これからテスト勉強というときも部屋のあかりと物音に気を遣わないといけなかった。

 歌番組で沢田知可子の「会いたい」が流れると、産まれるまえのできごとを想像しすぎてつらくなって泣いてしまう。そのときもやっぱりつらくなってしまってじぶんの部屋に逃げこんで泣いていた。すると、寝る支度をしようとしたのか母が部屋にやってきて、泣いてる、とぽつりと言って去っていった。だれとも顔をあわせたくないときに隠れる場所がないことに無性に腹がたって、ようやくひとり部屋にしてほしいと告げたのだった。

 そうか、と母はあっけらかんとしていたけれど、寂しそうにもみえた。言わなければよかったとすこしだけ後悔した。それ以来、母が喜びそうにない我儘は言わないと決めた。

 はじめてひとりで過ごしたひとり部屋は想像以上にがらんとしていた。母のいびきに近い寝息もなくて静かだった。いまごろ母はなにを考えているのだろう。18年間せいいっぱい愛した娘がつれなくて憎くなっただろうか。それともやたらと寝るのがはやいひとだからもう眠っているのだろうか。想像するときりがなくて、だんだん眠れなくなってきてテレビをつけた。4人の男たちが即興劇をしていた。毎週見ようとおもいつつ、いつのまにか忘れて、やがて番組も終わってしまって、気づけば静かな夜に慣れていた。

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