わらびの日誌

please forget me not, but I'll forget you. so it goes.

ノブちゃんのとこの子

今週のお題「好きな街」

 ちいさいころは田舎のおばあちゃんの家ということばにあこがれていた。縁側で夏休みの間延びした時間に身をゆだねるようないちにちをすごしてみたかったのかもしれない。

 わたしにとって田舎のおばあちゃんの家とは母方の実家のことで、大阪の商店街にある手芸屋さんだった。自宅のほうがよっぽど田舎だ。アーケードのなかではひとびとがせわしなく行き交っていた。お店には祖母がいて、そのまわりには親戚だったのかお客さんだったのかは覚えていないのだけれど、いつも編みものをしながらおしゃべりしているおばちゃんたちがいた。母はお店の奥にあったちいさなリビングでテレビを見ていた。父方の実家では仏壇にいたずらするのが好きだった兄は、こちらの実家では刺繍糸のひきだしを丁寧に整理するのが好きだった。祖父に連れられてゲームセンターに遊びにいったりもしていた。わたしはリボンをきれいに巻きなおしてみたり、かぎ針でコースターみたいなものを編んでみたり、ビーズでマスコットをつくってみたり、お店のもので遊んでいた。売りものをつくることもあった。2階の部屋はしずかで、毎日がお祭りみたいな商店街の騒がしさが遠く感じた。右に2軒となりのお菓子屋さんの奥にある喫茶店でカズコおばちゃんとクリームソーダを飲んだ(それ以来、クリームソーダはだいすきだ)。たこ焼き屋さんに行くとノブちゃんのとこの子やしとたこ焼きを3個くらいおまけしてくれた。左どなりの化粧品屋さんは水色のマニキュアと除光液をくれた。

 いまはもう、どのお店もない。祖母のお店もことしのはじめに貸し家になった。

 小学校の通学路の途中にあった荒れ地みたいな駐車場だったところには住宅がたちならんでいる。お気にいりの川沿いの景色もあたらしい家が目立つようになっている。近所のスーパーもいまのスーパーになるまえはどんなだったかわからなくなっている。火事ですっかり焼けてしまった父方の実家の外観も内装も記憶のどこにもない。先週までいっしょにはたらいていたパートさんがいなくなっても会社はいつもどおり動いている。5年前に21年前に72年前に93年前に大震災があったことだって覚えていられない。梔子の花がつぼみのうちに切られても世界はまわるし、〈時は過ぎ、ぼくらはおなじではいられない〉。

 それでも、ごじぶんの街がすきですか、と大学の先生にきかれたときにニュース番組で見た津波の映像をおもいうかべて泣きそうになったことだけは忘れないのだろう。

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