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わらびの日誌

please forget me not, but I'll forget you. so it goes.

愛した記憶

今週のお題「卒業」

 東京ディズニーシーのパレードで「A Whole New World」が流れて、なぜだかわからないのだけれどふっと泣きそうになった。「A Whole New World」といえば『アラジン』の曲だ。

 『アラジン』がどんなはなしだったかおもいだそうとしてもぜんぜんおもいだせなくって、蘇るのは、レーザーディスクを再生して本編がはじまるまえに流れる音だ。カタカナでごくかんたんに書くと、ウィーン、という音で、低音から高音に移り変わりながら10秒くらい流れるのだけれど、とにかくこの音が苦手だった。それでも『アラジン』が見たいというきもちのほうが強くて、音が鳴っているあいだは両手で耳をふさいでじっと待っていた。レーザーディスクはほかにもあったのかもしれないけれど、見た覚えがあるのは『アラジン』だけだ。『シンデレラ』とか『リトル・マーメイド』とかはビデオで見ていて、いまでも家にビデオテープがあったとおもう。

 涙腺がゆるんでいたせいか、パレードで『トイ・ストーリー』の「君はともだち」が流れたときにはほんとうに涙がでてしまいそうになって、困ったなあとおもいながらパレードをじっと見ているふりをした。

 『トイ・ストーリー』のころにはDVDが出ていて、1と2はむかしからよく見ていた。ドタバタした感じがすきで、結末は知っているのにいつもどきどきするのだ(『モンスターズ・インク』や『Mr.インクレディブル』もドタバタしているけれど、『トイ・ストーリー』のドタバタがいちばんすきだ)。3はディズニー映画もピクサー映画もあまり見なくなってから出たから1回くらいしか、しかもケータイをいじりながらぼやぼやとしか見ていないのだけれど、とても悲しくなったのを覚えている。年齢があがるにつれて触れなくなるものって、対象年齢のころにとても愛した記憶をなによりも宿らせながら埃っぽくなっていく。そういえば、むかし母になにかのアニメのおもちゃをねだったことがあって、ぜったいに飽きるからあかんといわれたことがあった。実際、そのおもちゃは買ってもらったもののアニメがおわってしまったからすぐに遊ばなくなってしまった。天井収納庫にはちいさいころに遊んだ犬のぬいぐるみがいっぱいあって、伸びもしないのに毛を切ってしまっていたりぼろぼろになってしまっていたりして、もしこどもを産んだとしてもおさがりにできないだろうなとおもうのにずっと捨てないで置いてある。『トイ・ストーリー』を見ていた影響かもしれないけれど、なんとなく命の気配がしてごみ袋に入れられないのだった。いつかは、ほかの荷物の置き場を優先することになって、手放さないといけなくなるのだけれど。

 ディズニーリゾートに行ったのは先週末のことなのに、ときどき、ディズニーシーにある洞窟みたいなところの近くを歩いていたときの景色や感覚がからだ全体によぎる。ひさしぶりに、その瞬間その場所にいたという、きちんと生きていた手触りがある。そのうち記憶は曖昧になっていくだろうけれど、しばらくはシェリーメイのストラップやプーさんのすこしおおきめのぬいぐるみを撫でながら、なるべく覚えているつもりでいる。

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