わらびの日誌

Please forget me not, but I'll forget you. So it goes.

さらば友よ

 高校生のときに部活がいっしょだったともだちのLINEのアカウントが一覧から消えていることに気づいて、もう会うことはないのだなと悟った。いまどきの旧友というものはLINEのアカウントがわからなくなってしまえばあっというまに今生の別れである。さらば友よ、である。どれくらいのひとと出会って、どれくらいのひとと会わなくなったかなんてわからない。でもそれは自然消滅で起こることが多いから、こうやってふいに気づかされてしまうと寂しいなとおもう。

 そうしてふらっとサンマルクカフェに入り、夕飯まえにもかかわらずわらび餅パフェをつついていたとき、中学生のころにネットのオフ会に行ったことをおもいだしたのだった。

 わたしが中学生のころというのは十数年まえのことである。個人が発信するためのネット媒体はブログや無料ホームページ(ぬめぬめ動かない)が主流で、ほかにはケータイサイトが流行っていたようにおもう。家にいるのも中学校にいるのもなんとなく嫌で、バドミントン部を辞めてしまって生活リズムを崩し、仲のよいともだちグループにいてもしっくりきていなかったわたしはとにかくネットをしていた。夜中も自室の電気をつけているので近所のひとからは「遅くまで勉強して偉いね」と褒められ、それに対して母は「あれは小説を書いてるだけなんです」と否定していたけれど、実際はブログへのコメントとかメールとかでひとと話していることのほうが多かった。

 いまも残っている文化なのか定かではないけれど、当時は「○○同盟」というサイトがたくさんあって、おなじ趣味をもつひとたちが名簿に加入してそこから交流をひろげていくという文化があった。いまでいうハッシュタグみたいなものだろうか。わたしはある小説同盟に加入していて、毎週土曜日の晩に開催されていたチャット会に参加していた。小説のネタのはなしとか、どうやって書いているかとか、そういうはなしをたくさんした。途中からひとつお題を決めて30分で掌編小説を1作書くという企画をやることになっていて、それがとてもたのしみだった(この企画がほんとうにすきでまたやりたいなとおもっているのだけれど、そのようなものはもう流行らないでしょうか?)。

 あるとき、同盟のひとで集まってオフ会をしようということになって、開催地が大阪だったので参加することにした。たまたま同盟の管理人のゆうさんが京都在住だったので四条大宮駅で待ちあわせることになり、目印のぬいぐるみを持った女のひとを見つけたときには心底感動した。このひとって文字情報やなくてほんまにおったんや、とおもった。梅田駅でほかのひとたちとも合流して、残りのメンバーを待つためにサンマルクカフェに入った。みんなわたしよりもうんと大人だった。全員そろったところでカラオケに行った。そういえばこのときのカラオケのことはやけに覚えていて、曲のスピードを上げた状態で「A・RA・SHI」をラップみたいにうたうひと、甲高い声でピクミンの「愛の唄」をうたうひと(これはゆうさんだ)、これはえっちな歌だからあなたに聞かせるのはどうかとおもうなんて言いながら福山雅治をうたうひとなど、いろいろなひとがいた。カラオケなんかでこんなことをおもうのは変かもしれないけれど、中学生という人種しか知らなかったわたしからすると人間って様々なのだなと強く感じたのだった。

 その後、なにかの機会でわたしは同盟を抜けて、大学生になったころにはオフ友のような関係のひとはほぼいなくなっていた。たぶん、じぶんの居場所や所属感を現実の人間関係に求めることに怯えなくなっていたし、それがうまく叶っていたからだとおもう。あのオフ会の、あのとき出会ったひとたちは、いまどこでなにをしているのだろう。いまも小説を書いているのだろうか。結婚しているのだろうか。もう、死んでしまっているのだろうか。同盟の名前もそのひとたちの名前も忘れてしまっているのに、ふと気になった。また会いたいなと一瞬おもってから、でもあのころのわたしがあのころの同盟のひとたちに会いたいのであって、いまのわたしが会いたいわけではないのだと気づく。いまのわたしは、悲しいけれどそのたちを必要としていないから。

 さらば友よ、である。

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