いつかまたお会いしましょう
はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第2弾「5年後の自分へ」
タイムカプセルに入れる手紙に、S高校に行っていますか、なんて書いた半年後に行きたい高校が変わっているような、気まぐれで、のんきな感じで生きている。とりあえず先のことは置いておいていまを生きようみたいな生きかたで日々をやりすごしている。タイムカプセルをつくったのは中学に入学するまえなのだけれど、きっとそのころから未来の予測というか、未来にむけて書いた将来の夢のようなものがことごとく外れていくことに気づいていて、小学校の卒業アルバムにもかなり近い未来のことしか書いていなかった。そこに書いていたのは、小学校で土日にひらかれていたバドミントンクラブで仲がよかった子とバドミントンをしているというものだったのだけれど、中学にあがってからは練習がきつすぎて半年でやめてしまったから、これも、まあ、見事に外しているのだった(腹筋・背筋200回、腕立て伏せ100回、縄跳び200回、スタンドの駆け上がり50往復なんてどこの軍隊のトレーニングやねんといまとなってはおもうし、それだけやってもおなかがへっこまなかったから筋トレなんて信じていない)。そのわりに偶然力というものは信じていて、しあわせでないできごとを小説として書くのが苦手だ。紫陽花のことを書いていたら、恋人が青を一滴たらしたような、紫陽花みたいなピンク色のTシャツを着て現れるくらいのことならともかく、世界が核ですたれていく掌編小説を書いた数週間後に東日本大震災が発生したことがあって、書いたことが実際に身に振りかかることがあるのだとおもっているから、じぶんが悲しくならないように悲しいことは書かないようにしてきた。
けれど、さいきんは愛のありどころみたいなものをとても気にしていて、成り代わりの恋愛とか、狂気的な片想いとか、すきなひとが変わってしまう瞬間とか、不倫とか、セフレをしているおんなのことか、そんなことばかり考えているし、そんなことばかり書いている。たぶん、ひとの痛みや苦しみを、わかるとまではいかないけれど、そこそこ感じられるようになったから、偶然力を恐れつつ書いてみようとしているのだとおもう。夏にマルチ商法の勧誘を受けたときに、お金があっても時間があっても健康に気をつけてももとどおりに治らない指をもっているわたしは、なにをもってしてもどうにもならないことがあるのだと知っていて、それってめちゃくちゃすごいことだなとおもって、これ以上失うものなんてないんじゃないかというきもちにまでなって、なんだか強くなれたから、いままで書かなかったようなものも書いていけそうな気がしたというのもある。そういうことも、気まぐれだし、のんきだから、きっとそのうち忘れるのだとおもう。シャンプーをした直後にシャンプーをしたかわからなくなるようなてきとうさで生きているから、すっきり、さっぱり、忘れていくとおもう。
2016年11月13日のわたしは、10時に目が覚めて、お昼ごはんは母がつくってくれたチャーハンで、おやつはリッチギザだったのだけれどふたが綺麗にはがせなかったのが悔しくって、発表会にむけて「革命のエチュード」と「ルパン三世のテーマ'80」を練習して、こうして文章を書いています。それから、2時間後くらいに晩ごはんのハンバーグをたべて、地元のおおきな銭湯に行って、凪のあすからのつづきを見て、眠るのだとおもいます。
2021年11月13日のわたしは、先輩に原稿を送ってもらった詩を読みかえして、おんなじところで、〈いつかまたお会いしましょう〉のところで泣くのでしょうか。「あいくるしい」という歌の、〈急になんか正解の風に流されたような〉のところでなにかに気づいたような気になって、〈運命は素敵なようで悲しく思えました〉のところで胸の奥が苦しくなるのでしょうか。
わからない。わからないけれど、おなじわたしがいてもいいし、ちがうわたしがうまれていてもいい。
それでええやんかっておもえる日々をすごしていたらいいなあとおもう。