わらびの日誌

Please forget me not, but I'll forget you. So it goes.

ただのリア充

今週のお題「自己紹介」

 「ただのリア充」ということばにはまっている。いわゆるリアルが充実しているというやつなのだけれど、さまざまな方面の友人に近況をたずねられたときにいろいろと話してみて、結論として、まあ、ただのリア充やで、のように使っている。ある意味これはことばを省略するために使っていて、文章を書く人間がことばを尽くさないでどうするのだともおもうけれど、ひどい自己愛の反動でじぶんがすきでないから「ただのリア充」ということばは丁度良いのだった。ちなみに「自己愛が激しい」は口癖で、「はげそう」と「わけわかめ」も頻繁に口ばしる。意味のある会話があまり得意でなくて無意味なことばをよく使うのだ。

 じぶんのことを話すのにこうも省略したくなるのは、どうも脈絡のない人生を歩んでいるかららしい。就職活動ちゅうに履歴書をたくさん書いたけれど、ピアノを6歳のころからずっと習いつづけていて、数検3級なのに高校は文系の進学クラスで、放送部という謎めいた部活の謎めいた大会のアナウンス部門で全国大会に出ていて、進学クラスにいたのに大学は芸術大学で、文芸表現学科というまた謎めいた学科にいて、1回だけ文芸誌に文章が載ったことがある、という経歴にしっくりときたことがないし他者を納得させられたこともない。じぶんで書いていてもよくわからない。趣味となると本も読むし、漫画も読むし、音楽も聞くし、テレビも見るし、ゲームもするし、俳句もすきだし、さいきんは短歌まで趣味に加えようとしている。ときどき衝動にかられて映画を立てつづけに見たりもする。大学を卒業して2週間のニート生活を経てようやっと手に入れた仕事もたいへんへんてこりんで、何度も説明するのがめんどうくさいからこう言ったら笑ってもらえるという話術を会得したくらいである。そしてもっとも説明しにくいことが小説を書いているということで、どんな小説書いてるんと聞かれるととっても困ってしまう。おもえば小説にも傾向がなくて、なにを書いてもこんなん書くって知らんくてびっくりしたとほぼ間違いなく言われる。もしかしたら個性というものがないのかもしれなかった。けれどもじぶんが苦手なわたしにとって個性がないという状態はじぶんの臭いがしないということでたいへん好ましいので、個性がないという個性ということにしておきたい。そう言ってしまうとそれが個性になってしまって好ましくない気もするけれど、まあ、そのあたりはいいんでないかとおもう。

 以上が「ただのリア充」にこめている略歴である。文章にしてみるとごちゃごちゃとしているけれど、すきなことばかりしているのは確かだ。〈好きなことで、生きていく〉でおなじみのユーチューバーさんのYouTubeをしていないバージョンみたいなものである。まえに見た動画で美容系のユーチューバーさんが「人生でいちばん若いのは過去のじぶんでも未来のじぶんでもなくいまを生きているじぶんだ」といったことをおっしゃっていて、『君は永遠にそいつらより若い』みたいで格好良いなとおもった。それは転職についての相談についてユーチューバーさんが答えるというもので出てきたことばで、過去や未来のことよりもいまじぶんがどうしたいかを優先するのがいいといった内容だった。

 いま、ということばは曖昧だけれど、春の花がおわれば春じゃなくなるくらいのおだやかな確実さをもっていまは存在していて、そこにわたしも存在していて、すきなことがたくさんあって、ただのリア充をしていて、あなたのことも好いていて、人生を全力で遊んでいる。書いてしまえばそれだけのことなのに、口にだして言うのはやはりむつかしいなとおもう。

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