わらびの日誌

Please forget me not, but I'll forget you. So it goes.

ミニチュアの街

 学生時代に、あなたはスーパーマンだから、とアルバイト先の主婦さんに言われたことがあるけれど、スーパーマンの映画は観たことがないから未だにどんなだかぴんときていない。でも、こちらもうろ覚えだけれど、梅干し食べてスッパマン、のほうがたぶんよっぽど似ている。

 人生のほぼすべてにおいてなにかを間違えてきたようなきもちでいるから、そのまま進むことはできないし、だからといって後戻りができるかといわれるとそうでもなく、宙ぶらりんのまま迎えた秋の冷えこみに、寒い・無理・しぬ、としか言えないでいる。そのうえことしの冬は厳しい寒さになるというからもう無力だ。長らく履いているムートンブーツが駄目になりませんようにと祈るくらいしかできない。晴雨兼用のスニーカーもそろそろ靴底がとれてしまうだろうから雪もなるたけ降ってほしくない。雨ももう防げないような靴ではあるのだけれど。

 ひとりだなあ、という感触がこころを空白にしていく。ひとりにならないようにしてきたのになあ、という目でこの数年を振り返るとなにも残らなかったんじゃないかと虚しくなる。

 ずっと誰かの家になりたかった。誰かにとっての一番になることよりも、五番目くらいの立ち位置で、いざというときに迎え入れるシェルターになりたかった。だからひとびとにはじぶんの奥底みたいなものを見せてこなかったし、相手のこともなるべく知りすぎないようにしてきた。そういう人間だって必要だろうとおもってきたし、この考えは今後も変わらない。けれど、じぶんから率先して一歩引いた気になって、そのくせ誰かに帰ってきてほしいなんて、傲慢でしかないだろう。三十歳になってようやく気づく鈍感さも嫌だし、気づかないまま恥を晒していたほうがきっと楽だった。漫画『セッちゃん』の、〈買ってもらった靴が汚れてしまった。わたしこんなことで泣くひとじゃなかった。だれかだれかだれでもいいから前みたいに一緒にいて〉という文言が、さいきんあたまをよくよぎる。ほんとうは誰かの一番でいたい。なんて、厚かましいなあと感じていたのに、いまはそんなことを切実におもっている。オンリーワンよりナンバーワンのほうがきもちがいいに決まっている。

 なにかのヒーローがひとびとを守るために戦っている最中に壊れていくミニチュアの街のことを無視できなかった。なにも傷つくことなく、ぜんぶが平穏であってほしかった。これからもなにかひとつを守っては別のなにかを取りこぼすような日々が待っているのは怖いことだけれど、せめてそのひとつだけでも大事にできたら上等なんじゃないかとおもいたい。

 金木犀が長く香っていることだけが、この秋のいいところだ。